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荒野の叫び 2007年10月の記事

福田総理所信表明

2007.10.01

 安倍政権が崩壊をし、福田政権となった。しかし極めて中途半端の印象をぬぐうことが出来ない。
 その理由は、内閣の陣容についてである。それは、閣僚の顔ぶれが、安倍政権における閣僚をそのまま引き継ぐ形であり、それをそのまま福田内閣と考えることは出来ないからなのだ。本格的な福田政権は、年明けに、改造して作ると言うことである。この点がすでに中途半端である。
 次に本日、福田総理大臣の所信表明演説を聞いた。率直に言って、それはほとんど形式的手続きという程度の内容であったと感じた。所信表明演説ををしましたよという事実のアリバイを、残す以上の情熱も、構想も夢も感じられるものではなかった。
 しかし、同時に、この国会では二度にわたって、総理大臣の所信表明が行われたこととなる。其の二つのうち、はじめに安倍総理がしたほうの所信については質疑が行われないままだった。そんなことが罷り通るのなら、それは国会における所信と言うものの権威を喪失させる以外の何物でもない。
 一方、福田内閣においては、閣僚が其の安倍氏の時とほぼ同じメンバーである。彼らにとって、新しい総理の指針である、今日の所信はあまりに無味乾燥であり、一つの明快な方向性が打ち出されていると言うことにはならないであろう。
 そこで、国会の審議は良くも悪くも、一つの指針に対して行われるものである。其の指針すら明快でないとすれば、国会論議そのものが、意味あるものに成らないであろう。これらの点において、極めて中途半端なものと感じた次第である。
 さて、わが民主党は、小沢一郎代表を中心として、結束を固め、参議院において多数派を占める有為点を活用して、今国会から攻勢に転じようとしている。
 テロ特措法については、そもそも、日本においてもテロとの戦いは、自明のことである。つまりわが国の邦人が24名も其の尊い命をあの同時多発テロによって奪われた。このことを考えるとテロの温床を地球上から消滅させる努力を日本も積極的に行うことは国民にとっても共通の理解があると考える。ただ問題は、今日の特措法が、こうした点でふさわしいかどうかと言うことである。
 まず出口論が議論をされていない。勿論議事録においてチェックをすれば、こうした問題についての質疑は何回と無く担当大臣との間で行われている。しかし、その内容について、明快な回答は一つもない。事実マスコミなどで議論しても、与党議員はこれについて触れることが出来ない。アメリカがもういいよと表明するまで日本側が続けると言うことでは、主体性も何も無いことになる。
 少なくとも、一年後との時限立法ということは、この点についての納得できる議論をすることが最低の条件ではあるまいか。さらに、そうしたことを踏まえて、どこまで民生が安定すると目的達成とされるるべきかについての、議論が全く行われてないことを指摘したい。
 つまり、こうした緊張感無く、日米安保という「切り札」を使えば、説明も構想も何も無くていいと言うような安直な、認識が与党にあるとしたらば、日本の議会そのものの存在意義が疑われることとなるのだ。
 次に其の海上における給油給水活動は、その結果として単に、アフガンにおける、テロとの戦いに其の資材が供せられているのではなく、アメリカの対イラク作戦に使われている可能性が大きい。このことはさまざまなデータから明らかにされつつある。
 こうしたことも含め、従来のシステムの中で、議会における議論を十分に尽くされること無く馴れ合いで意思決定をされ、進められてきたような、事柄について、国益と言う観点から、今後とも大いに主張していくべきを主張していきたい。

 私はさまざまなところで申し上げているが、今日の政治における問題点は、根本に限りなく近いところから発生しており、徐々に行う変革では其の解決は不可能に近いと考える。思い切った新しい基準の下に新しい世界観で再発想しないと、今日の困難を乗り越えることは出来ないと考える。
 それには、足して二で割る方式ではなく、政権交代と言う荒療治が必要であることを改めて強調したい。
 我々はこの国会で、其の大胆な構想を訴え、国民の皆様に政権交代へと思い切った舵を切っていただきたいと思うのである。

(写真は9/30大井町駅前、烈しい風雨の中での街頭演説)

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