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2008年01月

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一年を振り返り、新年に臨んで 2008.1.1[Tue]

 昨年1年は、選挙に忙殺された年という印象が強い。事実、4月の知事選挙、統一自治体選挙にはじまって参議院選挙、また区長選挙、区議会議員選挙に至っては実に夥しい数の選挙を戦ってきた。
 勿論、その中でも参議院選挙における与野党逆転は、一大画期であり、新年における政権交代の序曲ともいえるものである。しかし、それにしても各級選挙における一人一人の党員やサポーターや支持者の奮闘があって初めて実現したものと考える。
 さて、私は、そうした中で、今年こそ国益主義の政治の実現を目指すべきと考える。国益とは、文字どおり国にとって益になることである。そもそも国の豊かさや繁栄を培うことは国益に合致するものといえる。しかし、国益というのは単に物質的なものにとどまるものではない。
 私の恩師、松下幸之助はPHP運動といったものを提唱した。「PHP」とは、Peace and Happiness through Prosperityの略であるが、日本語に翻訳すると、「繁栄を通じての平和と幸せを」ということになろう。
 また東洋のことわざに「衣食住足って礼節を知る」とある。これも同じことをいったものである。
 つまり、一つの国における物質的繁栄、豊かさと精神的活力や誇りといったものを総合して国益と位置づけるべきと考える。
 政治がその目的を国益の実現にあると考えるならば、この物質的および精神的繁栄の実現を目指すこととなる。
 古来、多くの国家が、単なる物質的繁栄に飽きたらず、精神的誇りを求めてきたことはこのことと符合する。

 今日の、我が国政治に欠けているのはまさにこの観点である。
 国連活動において日本がしばしば批判されることは、例えばPKO活動に参加する場合でも、日本は自国で判断することなく米国に言われたときのみ、自衛隊員等の要因を派遣するということである。
 つまり、自らが自らの行動を決定するのではなく米国の支持にのみ従うとすれば、国際社会における自立的国家としては甚だ不十分であり、とりもなおさず国益に鑑みる発想自体が乏しいことを示すものといえる。
 また、他国によるいわれなき誹謗や、また事実に依らない我が国の名誉を貶める行為に対しては断固として真実を主張すべきであろう。
 米議会による、トルコのアルメニア人虐殺に関する非難決議に対して、トルコ政府は激怒して米軍への基地提供を拒否する姿勢まで示した。それは先人の名誉を守ろうとするトルコ人民と国家の強い意志の表れであり、そのことに驚いた米国はトルコに対しては、こうした物事を慎重に扱うようになったといわれる。

 私自身の発想からいえば、PHPの順番にしても、衣食住足って礼節を知るということについても、物質的繁栄は、畢竟、精神的繁栄の其後であって、人間が精神的存在であるならば、名誉の感情が最も尊重されるべきは言を俟たない。
 日本政治に国益主義があまりないとすれば、この名誉の感情に対してあまりにもニルアドミラルになっていることが理由であろう。

 長期間続いた自民党政治は、まさに吉田茂総理が自らを自ら防衛することを否定し、経済最優先の国家運営を試みてより、精神的名誉についてを二の次にして、所得増大と社会復興に没頭した。そのことをすべて否定するわけではないが、精神的なものを顧慮しない半世紀は、まさしく真の国益思考を少なくとも政治の舞台から払拭してしまったといえるであろう。

 今、日本が一定の経済力を誇り、国際社会に確固たる地位を占むるならば、政治主導によってなされた物質優先の論理をあらため、精神的位相を含む、国益主義を政治に確立することが必要となる。
 そうした中から、新しい社会秩序やシステムや、福祉やボランティアの姿が生まれてくるのではないであろうか。


 
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