動物好きな優しい少年時代

どんな子供だったのでしょうか?

私はとにかく動物好きな子供でして、小学生の頃から家でずっと犬や小鳥を飼っていました。中でもニックと言う名のダックスフンドは、私の成長とともにいつもそばにいました。あるとき、そのニックがガンにかかってしまったのです。幼かった私のショックは大変なものでしたね。やがてガン細胞が、膀胱を圧迫するようになりました。しかしニックは、外でしかトイレをしないように躾けられていたため、夜中はずっと我慢しなければなりません。「外に出たいよ」とドアの前で必死に鳴くニックが、不憫で仕方ありませんでした。それで、あるときから僕はニックを自分の布団の隣に寝かせました。夜中に鳴き出せば、すぐに起きて外へ連れて行く。そんな日々が続きました。結局ガンには勝てずに天国に逝ってしまったわけですが、僕はニックと一日でも長く一緒にいられるなら、何でもしようと思っていました。

そういえば、やっぱり子供の頃に、道を歩いていて何度か犬や猫が箱に入れられ放置されているのに遭遇しました。僕は、その箱を放っておけなくて、近くの教会に持っていき預かってもらうように交渉したこともありましたね。

そんな原体験があってか、命の尊さについて子供の頃から考えるようになったんです。それが例え子犬であろうと、その命を粗末に扱うことは何人たりとも許されることでないとも思いました。自分の愛情を精一杯注ぐことによって相手に喜んでもらえるだけでなく、何より自分の心が温まり、自分自身が満たされるということを知りました。

小学生時代の思い出として、こんなこともありました。近所の駅で地方から出てきたらしい土木労働者の若者が道に迷っていまして、思い切って声をかけたんです。で、土木現場までずっと案内して連れて行ったことがありました。帰宅があまりに遅かったので母親に「どうしたの?」と聞かれて、「道に迷っている人がいたから、その人を案内してあげたんだよ」と言うと、母から返ってきた言葉は「知らない人について行っちゃダメよ」ではありませんでした。「あなたは、とてもいいことをしたわね」と褒めてくれたんです。例え自分が無力の子供であっても、困った人の為になれるんだと嬉しくなりました。そして大人になったら、もっともっと、世のため人の為になりたいと強く思いました。

今振り返って考えると、その時にはまだ漠然としていましたが、その後、政治家を志したひとつのきっかけとなった出来事だったような気もします。