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現下の不況の本質は何か

未来第27号に掲載

 現在 我々の目前にある不況は、従来の循環型不況とは異なると言われている。そして多くの識者は、その理由として構造そのものが変化していることが現下の不況が以前の不況と異なっている最大の点であるとしている。
 そして、その解決のための処方箋はいまだに誰も提示できないまま推移している。
 私は、この問題について従来から一つの明快な主張を続けてきた。それは何かといえば、日本の経済における主体的モチベーター、景気を変えていくイデオログでオピニオン・リーダーは、経済活動を行っていく人達の大多数を占めているサラリーマンではないという主張である。
 なぜならば、サラリーマンは、自ら危険を犯して設備投資をし、借金をし、新しく事業を始める「勝負士」ではなく、むしろ会社から受け取る給与によって、その範囲の中で日々の生活をするからである。つまり基本的には、サラリーマンは、会社から受け取る可処分所得の中で日々のやりくりをし、また一部を貯金する経済主体である。
 したがって、サラリーマンが積極的に参加しうる点は、貯金を取りくずして、何かを買うことぐらいである。もちろん、30年とか20年とかのローンを組んでマイホームを買うことは、サラリーマンにとって一生一代の決断であろう。
 そして、一戸建てを買いたいというようなマイホームを求めることに生きがいをみいだすサラリーマンもいるわけだが、借金するにしても、そこにはおのずから個人の限界があるし、それだけではなく、すでにマイホームを持っているサラリーマンは、そうした勝負をかける必要性も可能性も無いのである。
 まして、俗に言う、年金生活者においては、景気の動向は、その利息の取分において影響はあるものの、彼らが経済に対して何らか能動的立場よりアクションをとることは、ほとんど考えられないといって言っていい。
 しかるは大企業の経営者はどうかということになるが、大企業の経営者の多くは、サラリーマンから構成されていて、また株主総会というハードルがあるが故に、大胆な勝負をリスクを背負ってやるという精神的環境にはないと言える。
 そうした中において、中小企業の経営者は、まさに、悪く言えば「山師」的に一攫千金を目指して、自分の土地を担保にし、知人友人から情熱を込めて説得をし、借金をしまくり、そして設備投資をして、経済に対して強烈に能動的に勝負をかけるチャレンジャー集団と言ってさしつかえないのである。
 その、チャレンジャー集団は、当然、景気動向を左右すると言う点においては、強烈なアジテーターであり、同時にイデオローグと言えよう。
 つまり、多少景気が良くなくも「思い込み」と「新製品」「新システム」で経済に殴り込みをかけていく「勝負士」がそこに居ると言えよう。
 それは例えていうならば、マゼランとかコロンブスに代表される大航海時代の船乗り達が、「勝負士」的度胸とロマンと一攫千金を求めて、大西洋に漕ぎ出して行ったのと似ている。彼らは、そこに文字通り、新天地を求めたとも言える。
 同様に、中小企業の社長さん達は、新しい経済フロンティアの可能性に夢をかけ、現在の経済の荒波に乗り出して行く経済の勝負上、チャレンジャーなのである。
 しかし、この勝負士が今、眠っていると言える。
 勝負士が勝負ができない状況になっているのである。
 その理由は、「設備投資」をして勝負するための最低限の担保力すら、今日の彼らの土地は持っていないからである。
 つまり、担保掛目一杯にすでに借り入れをしてしまっているからである。バブルの頃にその土地を担保にして、その土地の資産価値の120%位まで、金融機関は平気で融資を行っていたことによって、「ヤマッ気」ある中小企業の社長連が、本業以外のことに投資したバブルに引っかっかってしっまって、彼らは、あたらしく現金をつくるための土地担保余力をほとんど失ってしまっているのである。
 私は、このことは今日のいつまでたっても、出口のみえない不況を考える上で決定的な一つの要素であると考える。
 つまり、従来、私たちは、「石油ショック」をはじめ「円高不況」や様々な不況を体験してきて、そのつど、経済の後退やら景気の低迷に悩まされてきた。
 しかし、そうした中で、基本的にかわらなかったのは土地が、絶えず右肩上がりで上昇していたことである。
 つまり、あるときの不況で中小企業が大きなダメージを受けて、一時的にはあたらしい設備投資をする気運を失速させたとしよう。
 しかし数年をおかずして更に土地は値上がりし、目一杯であった土地の担保は、比較して、相対的に減少し、土地は再び設備投資をするための資金を借り入れるための担保となりえたのである。
 つまり土地は、いかなる不況のときも、常に値上がりをつつ゛け、結果として、中小企業の「勝負士」達が、新しい設備投資をするために資金を借り入れる上での「打ち出の小槌」であった。
 もっと言うならば、どんな厳しい不況においても、いかなる不景気でも、中小経営者の多くは、絶望的経済環境から5年もしない間に、その5年間に上昇した土地の値上がり分を担保にして、更にあたらしい設備をもって「勝負」をかけることができたのである。
 この点において、今日の我々の経済環境は、全く異なる状況となっている。
 つまり、土地の値段は底無しの下落をつつ゛けていて、各中小企業の経営者は、どんなに勝負をしたくても、その原資を土地を担保に調達することはできないのである。
 
 したがって、経済のもっとも強烈なイデオローグであり、リスクを背負って景気浮揚に一役買うべき中小企業の勝負士たちは、今まったく動くことのできない状況にある。
 これが今日の展望ひらけぬ不況の根本的理由と考える。
 そこで、どうすればいいのかということになる。
 私は、これについては、既に従来から二つの視点より自らの考え方を述べてきた。
 一つは、世界に国境を股にかける、ヒト、モノ、カネを、再び東京圏に取り戻すことと、
主張してきた。
 それは、ジャパン・パッシングといわれる現象から、もう一度無視できない10年位前の元気ある、魅力ある日本にしようとする企てである。そして、ジャパン・パッシングは、東京パッシングであると、私は主張してきた。なぜならば、東京こそ、国際的に見た日本の代名詞であるからだ。
 つまり、東京という、十年前には、誰もに二十一世紀のアジア国の中枢になると思われた国際経済都市が、その市場を失ってパッシングされるようになってきたことが、ジャパン・パッシングということだと考える。
 例えば、カネの部分から言うと、東京市場においては、十年前には、世界を、股にかける多国籍企業が、資金調達の場所として、次々に上場してきた。しかし、今日、株式の取引に伴う税金や、その煩雑さの故に、そうした海外企業は次々と、シンガポールや、上海や、香港に移っていった。
 例えば、モノの部分についていえば、かつては日本の横浜、神戸といった港のアジア圏における貿易取り扱い量は、最大のものであった。
 しかし、今日では、このシステムの複雑さや、融通のきかなさ、不便から、その立場は香港や上海に変わりつつある。つまり従来は、日本を中縦横して、他のアジアに移送された物質が、今や、上海や、香港をアジアの拠点港として、そこから、日本に移送されるようになっているのである。
 ヒトの部分についても同じであり、かつては、アジア地域全体の多国籍企業の司令部がが置かれて、その手足として、上海や香港やシンガポールに、支店が置かれ、その下位の支店が東京に置かれるようになっている。
 その理由は、他の都市に比較して、税金等の義務的経費が極めて割高であることにあろう。
 これが東京パッシングである。  
 そして、このことは、景気の上では決定的、マイナスとなる。
 つまり、世界中の経済パワーが、アジアでは東京に拠点を定めれば、東京はアジア経済の胴元として、カネでも精神でも、ヒトの流れでも物流でも、最もメリットを享受することになる。
 事実、バブルの頃は、その可能性と方向性とに満ちていたのである。
 しかし、今日においては、法人税の高さや、事務手続きの煩雑さなど、様々な問題の故に、こうした東京パッシングはおさまる気配が無い。
 しかし、日本の景気を良くする為の必要条件の一つは、こうした外国企業の経済活動をもう一度、「東京」に取り戻すことが必要であり、その為には、東京という都市の商品価値を高くしなければならない。
 東京の商品価値を高くするとは、税金を下げ、事務的手続きを簡素化するとともに、今の不況について、それを跳ね除ける東京固有のパワーがあることを、海外の投資家や、企業者に強調させなければならない。
 別の表現を使うならば、「東京恐るべし」という思いを持たすくらいの、東京経済における活性化が必要である。日本に眠る1、200兆のカネが動き始めるといった空気をかもし出すことが必要である。
 ともあれ、私は、そうした海外の地球規模で動くヒト、モノ、カネを東京に呼び戻す為にも、また、1、200兆の資産を有効に動かす為にも、中小企業の活性化は最大の要素と考える。
 また、中小企業の活性化は、日本の特に東京圏の中小企業が持つ、世界に冠たる試作品開発能力の活性化にもつながる。
 しばしば言われることであるが、設計図、一枚あれば、それで東京の町工場は、精密な試作品を短い期間で作り上げる人的技術能力を持つと言われている。
 この「モノづくり」の能力は、今日ではかつてのように、技術七割、機械三割から逆転して、技術四割、機械六割とか言われるようになっているが、それにしても、今だに新しい製品をつくるとでは大きな財力である。
 このモノづくりの技術が東京に存在する限り、海外の企業に対しての重要なセールスポイントといえよう。
 しかし、この新しい「モノづくり」も、それを担っているのは、首都圏の中小企業である。
 つまり、この小稿において冒頭により主張してきたリスクを背負って勝負士として経済に能動的に働きかけていく中小企業経営者が、その特長の中に、新しいモノをつくる上での出色なる試作品開発技能をやっているのである。
 つまり、今日の不況の根源にある中小企業の勝負士の意気消沈は、単に日本経済を内部からアクセルを踏み込ます要素をつぶしているのみならす、海外から見た、試作品開発の可能性という、セールスポイントをも失わせしめるものである。
 逆に言えば、この中小企業の活性化というキーを押すことは、現在の景気にとって最も重要なものと言える。
 そして、そのことは、既に述べたように、設備投資をする担保余力をどこに持たすのか、
ということであり、解決策の一つは、土地の値上がりがあるということである。
 ところで、私は、既に未来において記述したように、土地についての私達の感想を変えていかなければならないと思う。
 つまり、今までの土地についての考え方は、一時の土地が高いのか、安いのかということで議論されてきた。しかし、それは極めて幼稚な議論であると私は考える。
 少なくとも国際的には、土地の値段は、その土地がどれだけの富を一年間で生むかによって、測定されるのが常識である。あるとことの百坪の土地が一年間で一億年の収益を上げるとする。別のところの百坪の土地が一年間に百万円の収益を上げるとする。そうすると、前者の土地は、後者の土地の百倍の価値をもつのである。
 そうした考え方で見ると、日本はアメリカの1/25の国土で、アメリカの80%のGOPを使っているとすれば、坪あたり、アメリカの20億が妥当な値段ということになる。
 そして、その中の東京という、日本全体の面積の3%のところが、日本全体のGOPの40%位を占めるとするならば、この場所に限っては、アメリカの平均的一坪の、200倍の値段で当然と言うことである。
 そうした発想で、土地の値段を捉え直して、少しでも中小企業が「勝負」できるように、条件整備をすることこそ、最も肝心なことであると考える。
 また、不動産の担保余力を云々できないのであれば、土地担保以外の貸し付けの条件と、ノウハウを大至急構築しなければならないであろう。
 つまり、経営者の企業化精神、リスクコントロールの能力、新しい商品の可能性を評価して、設備資金を貸し付けるようなノウハウと「勝負」を金融機関が行っていくようにならなければ、中小企業の活性化は難しいであろう。
 その為には、銀行員が、今日の親方日の丸的意識から、もっと責任をもつ企業者的な投資家に変身することが必要であろう。