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民主主義再生論(上)

未来第15号に掲載

 言うまでもなく民主主義は、今日においてもっとも正しい政治形態と目されている。むしろ地球社会において、民主主義でない国は民主主義を標榜先進国によって啓蒙され、教育をされて民主主義に到達すべきということが世界のコモンセンスとなっている。
 そして民主主義というコトバの響きの中に我々は、ヒューマニズムという理想の概念と、民衆の民衆による民衆の為の政治という、もっとも平等にして平和なイメージを持っているのである。
 しかし、こうしたヒューマニズムや、平和や平等というイメージは、多数決原理と、代議員制を骨格とする近代民主主義という実体が、身につけている装飾にすぎない。
 ともあれ、今や、民主主義は、表面的にはそうしたきわめて魅力的な様々なアクセサリーに色どられ、そして底辺には、象主主義に非ねば、よき政治形態にあらずというような、強烈な強制力をもって世界を席巻している。
 したがって、民主主義批判をすることはかってのキリスト教とスコラ哲学を批判するようなものであり、天動説を否定した、コペルニクスが火あぶりになったように、きわめて危険なこととも言える。
 その意味において、民主主義は、議論の余地のない正しい前提として考えられる。それではなぜこのように民主主義が、なぜ人類の最高の政治形態と目され、ヒューマニズムや平等といった様々なすぱらしいイメージに彩られ、世界を席巻したのかを考えてみたい。
 私はその原因として、いくつかの要因というものが上げられると考える。しかし最大の理由は、その制度を持つ国が、民主主義の属性として「富」を具えていたからだと考えられる。
 多くの地域が社会や人は、もちろんそれまでの封建制やら、貴族制に対する、うっせきした不満から、革命を起したりしてきた。それは「主権在民」ということで、権利を少数者から多数者へと移すことを目的としていた。
 このことは当然のことであった。
 つまり、少数者よりも多数者は強いのであり、強いものが力を握るのは生物の世界の常識であるからだ。それは10万人の軍勢と1万人の軍勢が全く同じ戦術と同じ武器で戦ったと仮定した場合、10万人の軍勢が勝利するのは当然である。
 10人と1人でケンカをした時に10人が強いのは当り前である。
 但し、かつて、例えばアンシャンレジームのフランスでは、3%の貴族が90%を超える農奴を支配していたという現実があった。このような多数者が少数者に支配されていたのには理由があって、その理由は、多数者が横のコミュニケーションを持たなかったからである。
 つまり、組織されていない多数者が、組織化されている少数者に負けていたということなのである。もっと言えば組織化されていない多数者は、組織化されている少数者よりもはるかに小さい少数者の統称にしか過ぎないのである。
 したがって、社会が発展し、文盲が減り、大衆文化が生じ、大衆が、自分と同じクラスの人間というように相互に同一視する階級が発生するや、それは、未組織であった大衆が組織化されることにつながる可能性を増大させた。
 その結果として、当然、組織化された少数者より、組織化された多数者の方が強いのであるから、革命は成功したのである。
 但し、近代のブルジョアの革命における少数者は貴族であり、その貴族に対して団結して勝利したのは組織化された多数者であった新興ブルジョワジー産業資本家であった。
 その際、その産業資本家の資本の中で労働を提供している労働者は、未組織の大衆に過ぎなかった。つまり彼らは小さな少数者の別個のあつまりにしか過ぎず、多数者としての強みを全く持っていなかった。だから労働者を主体とするプロレアリアート革命はその時には起きなかったのである。しかしこの未組織の「労働者」が一つの階級意識をもって貴族や産業ブルジョワジーに対する「力」による権力取得を成功させた事例もある。
 それが、ロシア革命や中国革命に見られる革命であり、相対的に少数者であった組織化されていた産業資本家に対して、相対的に多数者である、その革命の瞬間だけ自発的に組織化された労働者が、勝利したのである。そして中国革命を成功させた毛沢東が「革命は銃口より生じる」といったのは、組織化された多数者が少数者をねじ伏せるという力の理論を明快に素直に語っている言葉といえよう。
 つまり、常に少数者より多数者が強いのである。
 それは当然である。くどいようであるが、余程少数者が強力な武器を持っている場合・・例えば、アメリカインディアンに対してヨーロッパ入植者が、大砲や銃の火器を持っていて、圧倒的な有利さがあるような場合を除いては、同じ武器を持つかぎり、正面から戦いが行われるかぎりにおいて多数は少数に勝つのである。
 しかし逆に、多数者の弱みは少数者に比べて、常に分裂をしやすいということである。
 このことは大国「中国」は、五千年の歴史の中で統一国家であったことはきわめて希であった二とは一つの示唆を私に与える。
 多数者は多数であるが故に様々な異質な要素を含んでおり、全体として一つ
の方向に向かう強烈な目標がひとたび達成されるや、内部における利害相違点が急速に顕在化して不協和音を響かせるのである。
 それゆえに、多数者はやがて分裂をして新たな少数者に、その権力を委ねることとなる。
 どちらにせよ、目立った変革というものは、その時の相対的な関係の中で、少数者に対して多数者が団結した時に革命という形をとって生じるのである。
 ところで、すでに述べたように多数者である勝者も、その内容を見ると一枚岩ではなく、双方に利害損得を持っている。その結果、より、強固な組織を持つ権力クループが、長い時間で見ると、やがて多数者の中における相対的多数者として形成されて社会の支配権を確立することになる。
 どちらにしても、民主主義は、こうした大衆の出現と同時に生まれ、そして、民主主義が生れたその時間においては、大衆はその内部における利害対立を一つの大義の為に一時的に和解しながら、貴族に対して勝利を獲得したのである。そしてその行為は正義であると確信されていた。
 すなわち、正義とは、自然界の法則であるところの「力」のあるモノが正しいということであり、「力」のあるとは、「少数者より多数者を尊重する」ということである。
 こうした発想の上に立って、民主主義は、多数決原理を政治的意思決定の正義と考えたのである。しかしこの正義の成立と言うことは、幾つかの条件を前提としている。
 その一つは、そこに同質的な民衆が存在すると言うことである。つまり、言語が相互に理解できる、相互に同じような世界観を持つ、相互に全く異なった意識を持たない、相互の経済的相違が在ったとしてもそれが絶対的な経済的相違ではない。つまり意見の違いや環境の違いがあっても、それを克服できるような共通の思想的生活的基盤が在ると言うことが、多数決原理が成立する為の条件であろう。
 しかも、この正義は、繰り返すが、多数者の意思が統一されているその間において成立する。
 逆にいうと、民主主義は、その出自において、こうしたきわめて貴重な、めったにまとまることのない多数者の意思の統一を契機にしていたがゆえに、もっとも、強力な批判できないものとして認識されるに至った。ナポレオンがその言行録で「力は裸にされた真実である。力には間違いもインチキも無い」と語っていることはきわめて特徴的でもある。
 こうしたことを第一の強みと、産業革命の中で、近代民主主義が生れたというその制度の持つ、めぐり合せが民主主義の二つ目の強みとなった。
 すなわち、民主主義が勃興した国や社会というものは、基本的に産業革命によって、従来の貴族階級に対して、産業経営者を中心とする、新しい「大衆」が権力を獲得する形の中で発生した。すなわち、数において貴族階級よりはるかに多数者である産業資本家が、内部における競走よりも、外敵である、貴族階級から主導権を獲得することを第一義としたところに「民主主義」確立の本質的ねらいがあった。
 だから当然、民主主義は産業革命と表裏一体として生じた。つまり産業資本家が社会の主導権を確立することがその主たるねらいであった。
 そして産業革命によって生じたのは、おびただしい「富」であり「財」であった。それゆえに民主主義はその属性として「豊かさ」を持っていたのである。世界の地図の中で当時民主主義でなかった国、すなわち産業資本家が国家運営の主導権を担っていなかった国に対して、産業資本家が国家運営の主導権を担っていた民主主義の国の経済的豊かさは、目を見張るものがあった。
 むしろ、こうした中で、民主主義でない国は、民主主義という制度が「豊かさ」を属性として持ちうるという憧れを持って民主主義国家を見たであろう。
 そして三番目に産業革命と平行して凄まじい技術革新が直行した。
 事実、産業革命によって単に中世的な「富」が拡大しただけでなく、生産力の増大によって「余剰」が発生し始め、また、様々な文明の利器の発明によって「空を飛ぶ」あるいは「馬よりも速く走る」あるいは「月面の映像を地球に送信することが出来る。」といった、人間の能力そのものが増幅することとなった。
 これが三つ目の属性である。そしてこの属性と、さらに民主主義がより多くの国民を背景にした熱気を持っていたことによって、民主主義国家と非民主主義国家との武力衝突の際などに、民主主義国家のより強い勝利を招来するものとなった。例えば、ナポレオンの軍隊の強みは、傭兵ではなく、それが民主主義に対して強い愛着心を持つ国民兵によって構成されていたことに在るとしばしば言われるのである。
 確かに当時、プロイセンなどの非民主主義の強国は存在したが、もし、彼らが産業資本家に国家運営を担わせていれば、それ以上に強い大国であったろう。
 したがって民主主義は、その根本を多数者という、もっとも基本的かつ原始的な「力」に依拠し、そして「富」という人間が求めて止むことのない社会の豊かさを属性とし、更に人間が夢としてきた、空を飛ぶことを含めた様々な能力の拡大、すなわち技術革新をも、その属性としていたのである。
 そして更に、その当時の地球・地政学上の環境が、地理的フロンティアを持っていたことも大きな民主主義の属性であった。事実、こうしたフロンティアの開拓は民主主義の第二、第三の属性である。産業革命による生産力の増大・富の増大と、技術革新による能力の増大によって初めてフロンティアは開拓された。
 つまり、アメリカ合衆国の活力も、酉へ西へとフロンティアが延びていることに、一つの源泉があったし、ヨーロッパ諸国の民主主義の活力も、植民地を獲得することと無縁ではなかったであろう。
 つまり民主主義は、空間的「新天地」というフレッシュな存在の開拓を第四の属性としていた。このことは、人間…人ひとりの持つ潜在的な活力と気迫を、より原始的側面から呼び覚ますものであった。
 ここから、民主主義の持っ開放感、未来への期待といったものが獲得された。これも民主主義の属性として大変に魅力のあるものであった。
 これだけの魅力的な属性を持つ民主主義は、もはやその制度そのもののあり方がいいとか悪いとかの議論以前のものとして、誰もが、最高の政治の形式として、認知するものとなるのは当然と言える。
 それはまさに、ある政治家の治世において、モノが豊かになり、科学が進歩して、人間の可能性がどんどんと発展していったら、その政治家は、いかに人間が悪かろうと、その時代の結果から高く評価されるようなものである。
 このような理由で、民主主義はまさに、奇跡を起こす「打出の小槌」のように認識されたのであった。
 したがって、今日に至るまで、民主主義を制度として批判することは、タブー視されてきた。
 しかし、今日、民主主義は、かつての民主主義のように、我々に奇跡を与えるのであろうか?
 そして今日我々が直面している地球の急減に対して民主主義は救世主のように活動しうるのであろうか?
 否、今日の民主主義は今や衆愚政治とも言われるように、全く、かつての民主主義と逆に我々に、感動を与えず、惰性を与え、そして、マンネリ化を与えているのではないか。
 かつて我々にロマンと開放感を与えた民主主義を、我々はそこに発見できるであろうか。かって我々に新しい技術と空を飛ぶ感激を与えてくれた民主主義、を我々はそこに発見できるのか?
 社会的閉塞感の中で激情をこめて我々が主権在民を獲得した時の感動が今の民主主義にあるのか。かつて我々が目に出来なかったような豊かさを民主主義の中で発見した驚きを我々は今日の民主主義に見ることが出来るのか。
 かつてゲーテが人間最大の持前は感動であると語ったが、今日の民主主義は、我々に刺激として感動を与えるのであろうか?
 むしろ我々は無感動に民主主義を語っていないであろうか。古代ギリシア、ペルシア戦争時代の政治家、ペリクレスは、あるときの演説において、こう語ったと言われる。「我々アテナイの市民にして、自分の家のかまどの中のことのように、アテナイの政治のことを気にかけない市民はひとりもいない。そんな市民がいたらば、其れは市民の名にすら値しない」としている。
 つまり民主主義は、その意味において、「多数決意思決定システム」と言う制度的側面と同様に、それを支える市民の熱情を前提としているものであった。かつて思想家モンテスキューはそれぞれの政体においてはその政体に対する愛情と言うものが何よりも尊いと言うことを「法の精神」の中で語っている。
 貴族制においては、パワーグループである貴族の愛情が重要であり、民主主義においても、それを支える「市民」の愛情が重要である。
 それは、一般の民衆にとって民主主義が、感動を伴なうものであり、それを守る為には、命を捨てても構わないと言うような熱狂を伴ってこそ制度は正常に機能するということかもしれない。それを考えると、制度としての民主主義が、今や、情感の部分における構成要素を失いつつあることを意味する。
 その一方で、民主主義は人間に対して、かつて人類に対してあらわしてきた奇跡を行うエネルギーを失いつつある。むしろ今日的な地球的規模の環境問題、人口爆発などを考えると民主主義による自由放縦はその解決を目指すよりも人類の終末を促しているかのようですらある。
 そして、制度としての民主主義が、今日、勢いを失っている理由は、むしろ、民主主義の希少性が失われてきたことに由来すると私は、考える。
 人間に対しての感動をともなわない民主主義、別の表現を借りれば、民主主義がリアリティを失ってしまったとも言えるかもしれない。
 つまり、民主主義はそこに住む市民に対して、インパクトを持つ主体から、一つの風景になってしまったとも言えるであろう。
 はじめは、ヨーロッパにおいて生じた民主主義は、その属性の強みもあって、どんどんと地理上で拡大をしていった。やがて、民主主義に非ねば政治にあらずというほどの、政治制度の上での権威を確立した。
 その段階で、民主主義は、ほぼ潜在的に世界の政治の在り方を規定したといえる仁しかし民主主義が世界に広まれば広まるほど「民主主義」そのものは、当り前の現象となった。そのことは同時に、民主主義における希少性と驚きとを減退させることとなった。
 民主主義の熱狂と興奮は、その拡大とともに冷めていった。
 民主主義に反対する勢力や政治体制が崩壊することによって、緊張感と十字軍的使命感は、どんどんと失われていった。
 希少性のあるものが外に向って拡大する時は、得点主義となる。
 したがって民主主義は、欠点を見るよりも、外へ向う利点を、その国民に強くアピールをしてきた。拡大する民主主義は、夢とロマン、そしてヒューマニズムの実現を予感させた、それが拡大を終えた時、得点主義から減点主義となり、むしろその体制の中における様々なアラが浮び上がってくることとなった。
 同時に、個人の確立を促しながら、その欲望を満たす「富」と「可能性」の増幅を充足させてきた民主主義は、有限の地球の中で、新たなフロンティアの創出が見込まれなくなると、その拡大意欲を充足できず、むしろ人類と地球との共存を危険なものにさえしている。
 むしろ、無感動になった人間が、習慣としての刺激のみを求めているのが現状とすら言えよう。
 この無感動になった民主主義は、「主体」としてのリアリティを失い「風景」に貶められたといえるであろう。
 まさに希少性を失い、全世界に拡散したときから、民主主義は能動的存在から受動的存在、すなわち風景になった。
 民主主義の興奮とリアリティはまさにその属性として持っていた富、技術などの奇跡とともにあったといえる。