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常識を切る2
〜戦略的行政改革〜

未来第18号に掲載

 ところで、こうした国際的に見て日本の経済の非常識を見ると他にもいくつかあることに気がつきます。
 そのひとつは例えば企業が行う減価償却の問題です。
 減価償却の期間は税制上では10年とか20年とかにわたるわけですが、銀行は、それを5年で返済しろというようなことになります。
 これは国際基準をこえて、それ自体が論理としておかしいものと考えられます。
 もしも銀行がある製品を買っときに5年で返済をしなさいということであれば、その製品の減価償却も5年でできるというよう選択を実施しないと税金を払うために借金しなければならないというようになってしまいます。
 また例えば、企業の赤字などについてはアメリカなどでは10年以上それを計上できるということになっています。
 更に北欧の方ではこの年限が無期限になっています。
 しかし日本の場合は企業のそうした赤字を累積できるのはわずか5年ということになっています。
 これなどは、日本企業が海外の企業と競争する時の税制面のおけるおおきなデメリットになるといっても過言ではないと思います。
 これと類似した課題として,日本の行政指導というのも大問題であるといってもいいと思います。
 あるアメリカ系の証券会社が日本の証券市場に参入してきた時に,業界の人は随分と不平等を感じたという話があります。
 それは、日本も法治国家だから法律があり,その法律はもちろん日本の証券会社もアメリカ籍の証券会社も遵法しなければなりません。この部分では日本の証券会社もアメリカの証券会社も平等なわけです。
 しかし日本という国は、その法律のほかに行政指導というものがあります。したがって日本の証券会社はその法律と更にもう一つの行政指導という不文律の制度に従わざる得ないのです。
 これに対してアメリカの証券会社はアメリカでやって来た証券会社だから法律は守るが行政指導はよく分からない。分からないというよりは法律で明文化されていないものは理解できないし,従う根拠もないと考えるわけです。
 すると結局、アメリカの証券会社の方が日本市場では日本の証券会社よりも行政指導分自由に行動できることになる。
 紺谷先生もおっしゃっているようにこうした行政指導分の差が自由化という美名の下に日増しに日本企業とアメリカ企業の力の差になってしまうということです。これは自らがマゾヒスト的に関税自主権を失うどころか貿易の不平等条約にサインしているようなものです。
 本来であれば日本に帰属する証券会社を守るべき行為が遂に日本の証券会社からその競争力をうばってしまうことになるということです。
 同じようなことを数ヶ月前の文藝春秋にもみたことがあります。それは、通信販売をしているアメリカのAという会社が、日本で急速拡大していることに関する記事です。
 A社はアメリカにおける成功を持って日本に上陸したものですが,日本で次々と消費者を勧誘して販売員としながら,勢いを増しています。ところで,その過程で日本人にしてみれば「ウマいはなしにだまされた」という被害者が次々と生まれてきているわけです。
 もしもA社を発案し組織した人が日本人だったら,発案者はとっくに逮捕されているだろうと私の友人も話していました。
 しかし、これは消費者が自己責任で行動するアメリカから来た商売でありアメリカ流に言えば、成功する人もいるし失敗する人もいるのは当然である。またもしダマされたと思う人がいれば、ダマされたこと自体その人の自己責任である――という理屈になるようです。
 そして、このA社を摘発しようとした日本の当局は、結局アメリカの国務省の顔色をうかがって何もしない格好になっています。
 行政指導について言えば、更に許しがたいことがあります。
 それは、大蔵省の指導のもと百に近い金融機関が海外に展開したことです。
 私の考えでは、むしろこのことこそ今日の貸し渋りの最大の原因になっていると考えられます。
 確かに十年前の日本はバブル期の絶頂にあり、大蔵省だけが悪いわけではなく金融機関の側も多少調子に乗っていたといえます。
 しかしとにもかくにも大蔵省主導のもとに大手都銀をはじめとして多くの金融機関が百近くも海外に雄飛したのです。
 海外進出した金融機関にすれば、プライドもあるしメリットとしても海外における資金調達をしなければいけないということになります。
 そこで出てくるのがBIS規制ということになります。
 例えばドイツなどでは3−5の銀行のみが海外における金融業務の展開をしていて、そこがオフショア市場における資金調達をしているわけです。
 他の地銀等の金融機関は国際的なオフショア市場で資金調達をしないわけですから,BIS規制も何もないから、金融業務としてはしっかりとやっていかなければならないが、自己資本比率によって調達金利が悪化するなどという影響は直接的には受けないのです。
 同様に日本においても大蔵省が100に近い金融機関に海外に出られるような行政指導を集団指導体制の中でしなければ,今日のように貸し渋りをする金融機関は大半3行から5行でよかったはずです。
 たとえば、地域に密着信用金庫や信用組合は全く貸し渋りとは別個の存在でありえたはずです。
 しかるにこうした金融機関で貸し渋りを始めた理由は、こうした地方の金融機関の多くが海外で資金調達をして,その結果1998年のBIS規制の対象になる金融機関があることと,もう一つは貸し渋りがひとつの社会現象になって海外進出しなかった金融機関の中にまで,その現象にはまってしまっているものがあると考えられます。
 つまり金融機関はとくに信用が大切ですから実際に海外で資金調達をしないものでも、このBIS規制が一つの金融機関を見る預金者側の判断となってくると、結局は、これをクリアーしておかないとメンツもなくなるし国内の資金調達も難しくなるとかいった一つの危機感が出てきて全国貸し渋り現象が生まれたといえます。
 したがってその原因は大蔵省の誤った行政指導にあったということになるのです。
 こう考えてみるとどうも行政の側に今日の経済危機の理由があるわけで、これを大胆に改革することは,急務といえます。そのためには,今の保守政党にかわるあたらしい保守政党が必要であると考えます。