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2006年06月

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通常国会が終了して 2006.6.29[Thu]

 6月18日に通常国会が終了した。私が国会に議席をいただいて以来、通常国会が会期延長にならなかったのは、夏の参議院選挙があった年のみで、今回は異例の早さで終了した。
 教育基本法や、国民投票法など多岐にわたる課題が、ほとんど先送りする形で会期が終了したことに、多くの国会議員は複雑な心境である。
 とくに私は、この教育基本法改正について、長年様々な立場で取り組んできた者の一人として、中途半端で終わったと言う感情が強く残った。
 そして、この顛末を見て小泉さんは政策の人ではなく政局の人であるということを強く認識した。
 この段階での小泉さんは、日本の政治や教育をどの方向にもっていくのかということよりも、政治的大スター小泉純一郎の総理引退と光景レースをどのように演出するかということにより関心を持っていたといえる。
 実は、このことは与野党のリーダーにとって常に生来する問題である。つまり政策を上位におくか、政局を上位に置くかという判断である。
 そして、アメリカの軍事力の傘の下で平和を享受していた日本は、自国の国益についての決定的な意思決定をすることなしに政治を運営できた。
 つまり、政策的なものは戦争直後にアメリカ占領軍によって敷かれたレールの上を、惑わずただひたすらに走り続ければいいというのが実情だったと言える。
 先般、三菱重工の増田相談役とお会いしたときに、「国益のために」という表現を、近年日本の政治家の口から聞いたことはなかったと言っておられたが、まさに国益というものを堂々と主張できない政治が戦後長らく行われていたことこそ、日本の政治が政局論主体によって行われていたことの証左である。
 私は、しかしながら、拉致問題をきっかけとする昨今の世論の大転換によって、国益が語られ、物質的なものでない精神的な政策論、例えば教育基本法等が、当然のように議論される空気がようやく生まれたことに注目したい。
 実は、かつて第1次世界大戦後のドイツにおいては、ヴェルサイユ条約の断罪条項という、ドイツに対してのみ世界大戦の原因を一方的に押し付ける条項を削除することに、国家の多くのエネルギーを傾けたと言われる。
 このことに反省したアメリカは、1945年の日本占領において、そうした気力すら、日本の精神風土から奪い去ってしまうことに用意周到に策略を練って、教育やマスコミに対する強制的指導をしてきたのであろう。
 少なくとも、日本は戦後において、教育を含む精神的分野に関する政策については一切その改革をしてこなかったと言える。
 小泉総理にしても、また多くの与野党の従来からの流れを汲む政治家にとって、こうした精神的な国家と社会のあり方を左右する政策よりも、政局を上位において行動することが当然のことと認識されてきた。
 小泉的手法も、大胆な演出で国民を沸かしたものの、それは政局的熱狂であり、政策的熱狂ではなかったといえる。
 そもそも、この10年の与野党政治の大胆な経済政策の変更も、つまるところは、米国が毎年、日本政府に対して提出している「日本改善要求」をそのまま踏襲したものに過ぎない。
 例えば小泉さんの専売特許のような郵政民営化にしても、ここ何年かアメリカから出された要求そのものであることは、その文書を目の当たりにしたものにとって衝撃的である。そこに見えるのは何ら小泉氏の主体性もオリジナリティもなく、単にアメリカの生保・損保業界のメリット追求の為にする改革であったと、ただ唖然とするのみである。
 ここを見て、日本はアメリカの属国という人もいるが、それを言えばその通りである。
 今回の国会において、小泉総理が教育基本法や国民投票法などの根本的なものを先送りして、政局に走る姿は、国益を考えるべき一国の総理としては、不十分なものと言えよう。
 私は、こうした戦後政治の真の総括は、GHQ以来、議論することさえ否定されてきた教育基本法や憲法改正論議、国益論議を正々堂々と国会で議論を始めることによってのみ可能であると考え、これからも努力していきたい。


北朝鮮人権法案 2006.6.12[Mon]

 北朝鮮人権法案が本日、衆議院拉致問題調査特別委員会で可決成立をした。
 共産党、社民党は反対したが、委員長提案と言う形で賛成多数で可決した。
 今回の法案は、先月、米国ワシントンのホワイトハウスにおいて、ブッシュ大統領が横田早紀江さんやハンミちゃん一家を招いて人権、拉致の解決のために米国としても大いに協力すると言う姿勢を示したことと、それに先立って米国において同趣旨の北朝鮮人権法を成立させたこととの関連を持つ。
 少なくとも、この点に関して言えば、脱北者支援という、改正外為法に見られる経済制裁とは異なった切り口による新しい、そして強烈な、事実上の制裁措置を我々は米国と同様に手に入れたとも言える。
 もとより、横田めぐみさんの拉致や、他の日本人拉致について、北朝鮮を脱北した元工作員 安明進氏の証言によって、日本人拉致の詳細が、大きな衝撃をもってマスメディアに伝えられたことは記憶に新しい。
 北朝鮮による日本人の拉致問題が、ここまで明示的になり、そしてわが国の憤りを発することとなった所以には数多くの脱北者から寄せられた情報があり、その情報なくして政府認定の拉致被害者以外の特定失踪者の確定など、荒木和博代表の民間団体ではなかなか進まなかったに違いない。
 そして、そうしたNGOの運動がなければ拉致問題は、政府認定の十余人のみで終了してしまい、他の多くの、日本から拉致され、日本に救いを求めている人を救出することも、話題にすることもなかったであろう。
 今回の脱北者支援については、当然、政府が認定する脱北者ということでスパイ等潜入を防ぐための一定の歯止めはかかっている。同時に米国の人権法案もそうであるように、北朝鮮向けの脱北者による放送や体制崩壊への働きかけと言うものが実際、行いうる可能性を示唆している点も重要である。
 少なくとも、米国の法律も日本の法律も北朝鮮の人権問題(拉致問題も含む)の解決の為に様々なNGOの活動を支援することを明示している。
 日本にとっては北朝鮮に関する国民の第一の関心事は拉致であるが、拉致を解決するための国際世論の形成も含め、横田夫妻もかつて参加した国連人権委員会のジュネーブにおける決議にしても、昨年の国連総会での人権批難決議にしても、国際社会に強くアピールする普遍的な人権の概念の中で拉致を解決する姿勢が重要である。
 そうしたことを含め、自民、公明、民主等の政党は拉致被害者家族会や救う会等の六団体から、わが国の人権法に脱北者支援をぜひ盛り込んで欲しいという要望を二度にわたって要請された。
私も、衆議院拉致特野党筆頭理事として与党案にある経済制裁の発動の更なる法的根拠の確立と、民主等案にある脱北者支援の箇条を盛り込むために与党筆頭理事と何日も調整打合せを精力的にこなしてきた。
 結果は、社民、共産両党の理解を得られなかったのが残念であったが、拉致問題解決の為に、大きな前進ができたと思っている。
 最後に、私から見て、脱北者支援を入れた二つの意味を述べておきたい。それは拉致問題の解決は全ての拉致被害者の救出であり、その首謀者を逮捕し裁くことである。
 私は、その両方とも畢竟、北朝鮮の国家が現体制から民主的な体制に変わらぬ限り達成できないと考える。
今の独裁国家の体制が崩壊しない限り、実際、どれ程の拉致被害者がいて、どれ程の人が生存しているのかも分からないし、明らかに拉致を主導した人間は、独裁者そのものであるからである。
 それ故に真の拉致問題解決には、どうしてもこの法案にある、脱北者支援という、独裁国家を内部から崩壊に向かわせる要素が必要だったのである。


村上ファンド代表逮捕 2006.6.6[Tue]

 今回、村上ファンドの村上代表が逮捕された。その罪状はインサイダー取引ということである。具体的には、堀江貴文容疑者(当時ライブドア社長)にニッポン放送の株式を買い占めるようにすすめ、更にはその資金提供元までを準備しておいて、自らはその所有する株式を売り抜けて巨利を得ていたとの由である。
 本来、公開買付などのルールが成立しているオープンなものを別として、こうした情報を内部でコントロールし利益を一部のインサイダーの者たちだけで稼ぎ出す取引は、例えて言えば八百長の競輪や競馬と一緒で許されてはならない。
 その点では村上逮捕と言うのはもちろん妥当であるが、問題は、こうした違法な商取引によって巨利を得たり、堀江容疑者のように違法に財務諸表を捏造することによって株価を吊り上げて他社(ニッポン放送)の株買占めが行われ、もし成功していたとしたらどうなっていたんだということである。
 幸いにも、ニッポン放送は買収されずに済んでいるのであるが、ひとたび、あの段階でニッポン放送がライブドアと村上氏によって買収されていて、それぞれの違法性がその1年後の今日、露見していたとしても、その1年間の堀江氏や村上氏によるニッポン放送支配及び運営が行われていたことになる。その間、彼らが更にニッポン放送を利用して同じような手口の資金調達を行ったり、他に対する敵対的買収をかけたりしていたら、更に犯罪は増幅し、ニッポン放送という存在すら、悪への加担をせざるを得なかったのではないか?
 つまり、私は、ここで、悪を暴くための時間をいかに短縮するかということが善を行い悪を暴く以上に重要なカテゴリーとして存在するということを強調したい。
 今回はライブドアにしても、村上ファンドにしても、一般投資家に大きな被害を与えたことは到底許されるものではない。しかし、事実、ニッポン放送を乗っ取り、更に異常な商取引を続けさせる上では、それ以上の八百長株式を食い止めたとも言える。
 ただし、二年前のライブドアの粉飾決算の問題がその直後、すぐに問題となり、明らかになるような、また村上ファンドによるインサイダー取引がすぐに明るみに出るような、、強力な権限で即応性のある証券取引監視能力があれば、一般投資家の被害も未然に防ぐことができたはずである。
 何が正しくて、何が正しくないかは永遠に変わらない問題ではない。時間と共に何が正しいかの内容も、何が正しくないかの内容も変わることがある。重要なことは、即座に悪事を発見することのできるスピーディーな監視体制の確立である。
 日本は正邪を決定する裁判にもいたずらに時間がかかるとの批判をしばしば受けている。少なくとも、生き馬の目を抜くような経済の世界における判断、判決はその立件も含めてきわめて短時日で済むくらいの体制と慣習を確立していきたいものである。


 
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