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2009年07月

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百年に一度の大転換に思う。 2009.7.19[Sun]

今日的危機と課題

 今、多くの人達が百年に一度の大転換と言う。それだけ世界における危機が大きいと言うことであり、日本における危機が大きいと言うことである。
 世界における危機と言う点では、環境破壊の問題と、未曾有の経済危機がある。国内的問題としては、日本の社会全体の危機が言われる。例えば、夥しい猟奇的青少年による犯罪、子供の親に対する、親の子供に対する家庭内暴力、いじめ、教室の中の無法状態、社会人の精神的ストレスによる自殺者、休職者の増大と貧富の格差の増大、社会的貧困層の固定化は、顕著である。
 また、社会全体を見れば、高齢化に伴って、其の活力が失なわれ始めているし、日本の人口動態の変化、社会的環境の変化に対応することがなおざりにされていることは事実である。
 総括するならば、今日の日本の政治行政は、今の現実のさまざまな問題に対するしなやかな解決能力、対応能力を失っていると言える。

シュンペーターの預言

 アメリカの経済学者、シュンペーターは経済の世界で多くの会社が生き残っているが、そこには一定の共通項があることを発見した。生き残っている会社は、その繁栄の絶頂期において、会社の生き残りをかけた新たな方向に向かっての準備を始め、ある段階において、それまでの機構や商売の仕組みを組み替えているということを発見したのである。つまり、スクラップ&ビルドである。シュンペーターはそれを創造的破壊と表現した。
 彼によれば、創造的破壊を繰り返し行っている会社は活力を維持して長い経済の消長の中で生き残るが、それを怠った企業は、一時期どれほど繁栄していようとも、やがて没落をしていくと言うのである。
 そしてこのことは、歴史を顧みれば、国家においても当てはまる。かつて大きな繁栄を勝ち得たカルタゴも、其のカルタゴを滅ぼして世界最初の大国家帝国を作り、今日の世界文化の大きな規範となる様々な法律や社会システムを構築した古代ローマ帝国ですら、今日において遺跡を残すのみである。
 こうした国家の没落は、創造的破壊をせずに、成功体験とそれを支えたシステムに固執したことが没落の原因と考えられる。
今日の日本において必要なことは、日本の国家における創造的破壊である。

我々が行うべき創造的破壊とは

 会社経営において、戦略的意思決定と戦術的意思決定ということが挙げられる。戦略的意思決定とは、大きな枠組みの中で其の方向性を考える根本的意思決定である。戦術的意思決定とは、現場におけるお意思決定である。アメリカの経済学者チャンドラージュニアによると、アメリカの会社で経営に成功している会社と失敗している貨車の違いはこの意思決定をきっちりと分離しているかどうかにかかっていると言う。つまり成功している会社は、戦略的意思決定と戦術的意思決定という二つの意思決定を、明快に区別し、役割分担していると言う。戦略的意思決定とは、政治家が意思決定するべき課題であり、戦術的意思決定は官僚が、意思決定する項目と言えよう。

小泉民営化路線と官僚の責任論

 しかし、問題は、そこに個人の意思決定というものがある以上は、そこに其の意思決定に対する責任論は必要である。
 たとえば、非現実的な、需要予測をあげて、新しい飛行場などを作り、需要予測の3分の一くらいの実際の需要の前に、運営困難な飛行場を作るとか、採算が全く取れない施設を国民の財産を浪費して作り国民に大損害を与えると言うようなことは、そこに官僚の意図的な、詐欺的な意思決定があると認めざるを得ない。
 小泉内閣においては、さまざまな民営化が行われた。道路公団民営化、郵政民営化、と民営化という言葉が華々しく踊っている。彼は、官尊民卑ということを盛んに喧伝し、官僚の世界に民間的精神を必要とし、民間として出来る業務を民営化しようとしたのである。
 しかし、官僚に対する責任論なき民営化論は、空虚である。其のことは、すでに、郵政における簡保の宿の不当な廉売によっても、明らかである。
 つまり建前として業務のあり方に競争原理を取り入れ機構を整備し、損益を計算するだけでは不十分である。つまり、国家が大株主であり、国家が其の業務の意思決定や人事に対して大きな影響力を持つ場合には、そうした部署において行われる意思決定に対しても責任論は必要である。
 小泉改革は、官僚の責任論を公務員制度に明記しなかった点から、不十分と言うことになる。しかしその理由も考えてみれば明快である。
 つまり小泉氏の言う民営化が、毎年アメリカの商務省から提出される、日本に対する規制緩和改革要望煮をほぼ丸呑みにしたものでありアメリカの国益に沿った民営化である以上、官僚の責任論や、官僚による国民の財産に対する毀損は二次的なものでしかなかったからである。

日本のグランドデザインを精神的高揚

 私は、日本は、海洋国家日本と言うグランドデザインを明快にして、国民的意識の高揚を図りながら、活力のある国家を作るべきであると主張してきた。
 その理由は現実的な資源獲得と言う国益と、精神的な国益との二つである。
 まず、資源獲得については、すでに中国との間にガス田に関わる衝突と一時的和解が成立をしている。
 日本が地球に占める面積は37万平方キロメートルと小さいが、排他的経済水域まで考えると世界屈指の大国となる。
 そこには、メタンハイドレードを含む豊富な地下資源、水産資源がある。これは国家百年の大きな戦力上の財産である。
 こうした海洋の開発は技術の進歩によって将来飛躍的に伸びるであろう。
 そしてこの海洋国家日本と言う響きには、何とロマンの響きが隠されていることであろう。
 私は、古代ギリシャの政治家ペリクレスが、アテネの市民を前にして、アテネの市民は、国家のことをわがこととして考え、国家のことを他人事として考えていないことを誇った。つまり国家に対して強い思い入れや責任を持っていたと言うことを述べ、アテネ国民の国家や社会に対する情熱の高さがアテネの民主主義の大きな力の源泉と誇った。
 私は、確かに多数決原理は民主主義の二つの車輪の一つであると考える。しかしもう一つの車輪は、国民の政治、社会、国家に対する思い入れの大きさであると考える。
 其の情熱なくして、民主主義は正常には機能しないであろう。こうした情熱なくして社会的問題を解決することは出来ないであろう。
 高齢社会の課題も、核家族の課題も、こうした情熱なくして仕組みだけで解決ができると言うことは、歴史を見ても有りそうには見えない。
 そして情熱は、漠然としてあるのではなく、一つの方向性を持った国民的高揚の中に生まれるものであろう。
 こうした点から、私は海洋国家論と言う日本の国際海洋法を武器にしたグランドデザインを訴えた。

従来の日本と海外との関係で変わる点

 日本においては、従来から、周りは海と言う途方も無い堀で囲まれている城砦のような国土であった。
 江戸城の堀や大阪城の堀と比べて、日本国の堀は海外からの攻撃や侵略を防ぐ上で大きな存在であった。いまだに日本は平和はただで獲得できると言う幻想にとらわれている。しかし、排他的経済水域200海里という発想で行くと、日本海で、日本は韓国、中国と国境を接しており、かつて無かった国境紛争をこれから抱える国家と言うこととなる。
 其の一つがガス田に伴う紛争である。また尖閣列島についても同じようなことがいえよう。こうしたことに対する政策や戦略と建て直しが必要となる。

そのとき歴史が動いた

 NHKのテレビ番組に、「そのとき歴史が動いた」と言う番組があった。
 私たちは、まさに其のとき歴史が動いたと後世に言い伝えられる時代に生きていると考える。冒頭述べたように、今日の日本の社会状況は、今の政治行政の形では対応できないレベルに変化している。
 国内においても今の政治行政では対応できないであろうし、国際社会と日本の関係でも従来の考え方では対応できないことが増大している。
 国連安保理に対する対応、自衛隊の海外派遣に対する対応、国土領土における対応。すべてが、新しい政治行政を国内において求めていると言える。
 こうしたさまざまな変化に対応する国家的創造的破壊と再生が今求められている。
 後世の歴史家によって、其のとき歴史が動いたと言われるような、まさにそのときはあと一ヶ月で来るに違いないと言う鳥肌が立つような予感を感じながら、有権者の皆様とスクラムを組んで戦っていきたい。


 
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