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サラリーマン階級の没落

未来第26号に掲載

「ジャパン・アズ・ナンバーマン」であるとか、「アメリカが日本に学ぶ」とかいう著書が本屋にヨコ積みにされた時代は、懐かしいバブルの頃の話で、今日のわが国の経済と社会の活気を考えると、隔世の感がある。
 そして、私はこの小論において、過日書き上げた「サラリーマン階級の没落」を要約するとともに、新しく自主的中産階級の勃興をテーマとして取り上げたいと思う。
 日本の戦後よりバブル期に至るまでの経済の成功は、歴史上の奇跡とすらいわれている。
このアメリカの1/25の国土の日本が僅かな期間に、しかも国土が焼け野原となっている状況から、一気呵成に世界の繁栄の頂点に立つということは、個人のレベルに例えていえば、伝説的な立身出世のようなものであり、まさに奇跡といえよう。
 その奇跡を演出した様々な理由はすでに多くの識者によって語られている。
 例えば、終戦後GHQによってつくられた、現行の憲法に盛り込まれた戦争の放棄と、吉田茂によって樹立された日米安保に基づき、結果として日本が軍備にカネを使わずに、全てを経済復興に役立てることができた点や、アメリカの経済的バックアップなどを理由として、日本の経済的成功の要因を説明する議論が最も多い。
 しかし、戦後半世紀に及ぶ経済復興の大きな要素は、勤労意欲の高い質の高い「サラリーマンの存在」に帰することを忘れてはならない。滅私奉公的精神で、会社の為に生命をかけてきた多くの名も知られぬサラリーマンの仕事における健闘ぶりこそ、今日の繁栄の礎になっているとも言える。 その意味では、日本サラリーマンは、史上最強の勤労戦士であったとも言えよう。
 そしてこの日本のサラリーマンの特長として、その職場における昇進雇用制度や、年功序列制や、家庭主義的な会社経営の中での、日本独特の労資協調のあり方が言われてきた。
 しかし、私は、こうした制度やシステムから切り込むのではなく、サラリーマンの精神的構造を主として、制度やシステムを従として、サラリーマンの「強み」、「史上最強の経済戦士」を解明しなければ、この史上最強の勤労戦士の特質を明らかにできないと考える。
 その理由は、日本型経営が世界の注目の的となったときにも、同様のシステムで同様の効果が上がらなかったり、同様のシステム自体が、勤労者によって受け入れられなかったりしたケースが多かったことが挙げられる。即ち、日本型の経営システムは、この日本におけるサラリーマン階級によってのみ、初めて効果を最大に上げることができたのである。
 当然のことではあるが、我が国における給与所得者、「サラリーマン」と称される人達は、戦後の荒廃とした社会から、平成バブルまでの我が国の経済を支えてきた根本的な力であった。
 このことは、日本が石油資源や鉱物資源に恵まれた国ではなく、唯一「人材」のみを資源として経済活動をしてきた国であることを想起すれば明快である。それだけ、人的資源として、サラリーマンは卓越した資質を持っていたものである。
 ところで、この日本のサラリーマン階級の強さを考える上で、歴史上に散観される類似される事例を紐解くことは、我々にヒントを与えてくれる。
 歴史的にその国の繁栄を支えた人材として、例えば、古代ローマ帝国が地中海に覇を唱えるに際して、その中核を担ってきた、市民を中心にする重装歩兵軍団を挙げることができる。
 もちろん、ポンペイウスや、スラヤシーザーといった名将が、あまたキラ星のように出現してローマの地中海制覇に功績を立てたことは銘にされるべきであろう。また、ローマが一つのシステムとして、インターナショナルに拡大する制度的要素を指摘する声もある。
 しかし、それを支えた、自らがローマの繁栄を支えているといった名誉心をもつ、「市民」を中心とする重装歩兵軍団の存在は、戦勝における決定的要因であったろうし、そのことがローマの「パックスロコーナ」の最大の要因であろう。
 後世のユダヤ人歴史家は、その勇猛なローマ重装歩兵軍の戦闘振りを「武器が体の一部と化した」勇敢な兵士達と例えている。
 同様に、古代ギリシャの国々の連合軍が、大国ペルシャを遂に追い払った戦いにおける当時の市民から成る軍隊も、一つの事例である。もち論これについても、サラシスの海戦に備えて、テシストクレスがアテナイの余剰金をすべて軍船に造ることに、民会を説得して振り替えたというような、政治家の先見の明が大きな勝因であろうし、また彼の指揮の勇敢さも、戦勝の理由として挙げられる。
 しかし、同朋意識の強い、自らがギリシャを守るのだという名誉に燃えた「市民」が、名将レオニダスや、テミストクレスの識のもとに、ある種の「火事場の馬鹿力」を出して勝ち取ったものとも言えよう。
 歴史にずっと下るが、仏の大革命以降、欧州を席巻したナポレオンは、その強みを「市民」を中心にした国民軍においていた。
 勿論ナポレオンの戦略的天才がなければ、あれだけの戦勝はなかったかもしれないが、それを支えた国民軍の士気の高さが無ければ、同様の戦勝はなかったであろう。
 ここで、私が指摘をしておきたいじことは、こうしたローマの繁栄でも、ギリシャの栄光でも、ナポレオンの強さでも、そこに軍隊の造りかを含むシステムや、その軍隊を指揮した人間の卓越した能力もあるが、傭兵によってでなく、「名誉の戦死」を遂げようとしている市民によって戦勝が支えられてきたということである。
 歴史的に、軍事力が国の繁栄の是非を決定づけた時代であることを考えると、つまり、こうした国々の繁栄を支えてきたのは、まさに、それを支えた軍隊における「国民的士気の高さ」であり、その国を守るために「名誉ある戦死」を選ぶような「責任ある市民」意識の存在であり、そうした高い敢闘精神を持った「人材」であったと言えよう。
 このことは、何も武器に身を固めた軍隊と、軍事国家についてのみ言えることではない。マックスウェーバーが「プロテスタンティズムと資本主義の精神」で著したとき、資本主義の繁栄の原点を支えたのは、「プロテスタンティズム」を精神的な柱にして、経済活動を行った「市民」であるとしたのだが、武器こそは持たなかったが、同じようなその社会の繁栄を築き上げた集団であり、「人材」であり、資本主義社会から見れば、強力な勤労戦士であったと言えるであろう。
 つまり、古来、ある国が繁栄するときには、その国の繁栄の中核をなす「人材」集団のこうした「精神構造」の中に繁栄の原動力があったと言える。
 そして、歴史が我々に示唆していることは、こうした国々においても、結局、その国の繁栄を支えている国内における、人材集団の「意気」「士気」が衰えるによって、その国の繁栄も衰えていくということである。
 古代ローマについても、そうした「物質的享楽」ではなく、「名誉」を重んじる気風が市民から失われ始めると、その兵隊も、自主的な重装歩兵軍団から傭兵へと変わり、戦争における自己犠牲の精神は薄れ、その繁栄も色あせてきたといえる。
 時あたかも、多くの市民が土地を失って、大都市のスラム等に流れ込みはじめて、歴代のローマ皇帝は「パン」と「サーカス」の提供に奔走するに及び、世界最強のローマと、それを支えた重装歩兵軍国は、その内部から崩れていったのである。
 私は、戦後の荒廃とした日本から、世界の奇跡といわれた高度経済成長を担い、アメリカに続く世界第二位の経済を誇る、今日の日本をつくった原点でもあった「サラリーマン階層」と、その「精神的構造」も、歴史上の軍事的「人材」や、経済的「人材」が持っていた、勤勉、自己犠牲的側面をもっていたものと考える。
 ところで、戦後の日本の繁栄を築き上げてきたサラリーマン階級も本質的に、歴史的なこうした事例と同様に、その人材としての精神構造を失うに至り、日本の従来型の繁栄は、 没落を始めることとなった。


サラリーマン階級の特長

 そこで、まず、その精神構造の部分を、冒頭に記したように、制度的側面によらず、精神的風土より解明していきたいと考える。
 まず、第一に指摘することができることは、この集団の精神的構造の中に色濃く残っている軍隊的側面である。
 軍隊は、昔からいわれて言われているように、もっとも効率を重んじる人間集団であり、ムダを排するものである。そもそも、人間が一番命がけで目前の仕事をする場合に、およそ軍隊の戦時における緊張と「命がけ」に優るものはないだろう。それは、戦争時における軍隊は文字通り「命がけ」であり、一時の油断が命を失うことになるからである。
 その意味で、軍隊は、最も高い効率性をもつ人間の集団である。
 そして、終戦後の日本は、それ以前の日本の持つ精神構造を、サラリーマンの人材の「働く」という点において持続しつづけたと言えよう。
 第二次世界大戦以前の日本は、軍隊のみなず、全国民が一丸となって戦争を遂行し、一億玉砕というコトバすら真剣に議論される状況であった。つまり、通常はその国民は軍隊とは別の存在である。しかし、日本の太平洋戦争時の、特に昭和十五年の食料の配給が始まった頃からの時代においては、銃後の国民全体が、ある種の「軍隊」となったのである。
 したがって、軍隊における教育や規律や敏捷性や自己犠牲の精神が、一般の国民における指導理念となっていった。
 「欲しがりません。勝つまでは」とか、質素倹約で「贅沢は敵だ」というコトバが当然視されるようになり、「お国の為に命を捧げる」という自己犠牲の精神が尊重された。
 そして昭和二十年を迎え、日本は終戦を迎えた。そこでは、主権在民が大きく叫ばれ、そして、平和憲法といわれる戦争放棄を含む民主憲法が制定された。
 この段階で日本は、その国家のあり方を、戦前の俗にいう軍国主義から、平和主義に180度転換をしたと言われる。そのことは、学校の先生や、警察官といった公務員の態度や、接する一般市民のあり方などを見ても、昭和二十年八月十五日を境として、それ以前の「権威主義的」側面が薄れて、「下僕的側面」が強調されることとなった。
 しかし、昭和十五年に始まった、一億総軍強化によって方向付けられた強靭な軍隊的精神構造は、その当時の特に六才ぐらいから二十五才ぐらいまでの青年層に対して、一生にわたる洗脳的ともいえる影響を色濃く与えたと考える。
 その影響は、「自らを犠牲にして公の為に尽くす」ということに原点を持ちながら、「会社の為にプライベートを犠牲にして尽くす」という日本型モーレツサラリーマンの精神的骨格をつくることに繋がっていったといえよう。
 「ウサギ小屋」で我慢し、「働きバチ」のように倦まずたゆまず働く会社史上主義の日本のサラリーマン精神の根本は、昭和十五年から二十年にかけての国民総軍隊意識化の中で、少年期から青年期を迎えた、多くの若者に共有されたのも、これが理由と言える。
 ある意味では、古代ローマの重装歩兵軍国や、ギリシャの市民兵が、自分の国の為に名誉の戦死をしようとする、愛国的心情と似ている。「会社至上主義」で全ての力を会社発展に尽くすという日本型熱烈サラリーマンは、ここに派生したといえる。それは、当然、、失われてしまった「国家の為に命を尽くす」その国家の類似的存在として、終戦直後の若者に受け止められたのかもしれない。
 したがって、彼らにとって会社は、お金をもうけるところ、生活の糧を生み出すところのみならば、むしろ、人生すべてをかける場所であり、家庭や地域のことは二義的なものとして認識されたのである。
 日本の戦後における世界の驚異の的ともなった高度経済成長は、太平洋戦争時代のモーレツな敢闘精神を潜在下に持つこの企業戦士によって遂行されたのである。
 そして、丁度、昭和二十年に五才を迎えた子供たちが、その精神構造の中に「軍隊的特質」をもつ最終世代であることを考えると、彼ら昭和十五年生まれが六十才を迎え定年退職となった平成元年―二年に、この「企業戦士」は、会社からはほとんど消えていったことになる。
 すなわち昭和という元号が終わる頃に、ほとんどの企業において、「企業第一主義」もしくは「個人を犠牲にして企業につくす」という、それまでは日本の猛烈サラリーマンに当然備わっていた特質は、失われたと考えられる。
 これは本稿がテーマとしているサラリーマン階級が失われた最大の原因である。
 次にサラリーマン階級という史上最強の企業戦士の二つ目の特長は、それが新興都市と新しい家族に根ざしていたことと言えよう。
 すなわち、戦後の荒廃とした日本は、とりわけ都市部においては空虚からの出発となっていた。
 その理由は太平洋戦争におけるアメリカの対日攻撃は、専ら東京などの大都市部に集中したからである。
 そして、サラリーマン階級と呼ばれなる人は、この大都市部に集積して日本の戦後復興を導いたのである。
 つまりその場所は昔からの古い因習や慣習といったものは全くといっていい程、また、町や村といったコミュニティーもほとんど存在していなかった。
通常であれば、そこに住む人は、そこの地域コミュニテイーに同化して、そこにふるさと意識を持って生活をするのであるが。終戦直後の都市においては、そうしたコミュニテイー自体が都市の崩壊とともに失われていたために、勤労者、サラリーマン集団は、その帰属するコミュニテイーを、会社に求めることとなった。
 このことは、冒頭サラリーマン階級の一つ目の特長として述べた部分と相俟って「会社至上主義」を容易に当然のものさせた。
 またこうした地域におけるわずらわしい人間関係を含むコミュニテイーの無いこと自体は、多くのサラリーマンに経済のみを追求することを是とする、東京風土を作り出させた。
 サラリーマンは、観念を持つことなく、仕事のみに精励をしたのである。
 このことは逆に言えば「隣の人は何をしているのか知らない」という。地域的無関心が当然のような都市風土をつくることにもなったと言える。(私自身は、日本のような共同農業を弥生時代から行っている風土においては、アメリカや西欧とちがって、都市においても本来は、もっとウエットな人間関係になるのが自然と考えている。このことは今日の日本の東京のような大都市においてすら自治会がほとんどの地域で成立していることから考えて明らかである。したがって隣人に無関心という風潮は、少なくとも二十年―三十年前の東京にあったこと自体は日本社会としては極めて不自然であり、それは、廃虚となった都市から今日の大東京が生まれ、そして住民が「会社至上主義」の企業戦士であったからだと考えられる。)
 サラリーマン階級の特性として三つ目に考えられることは、二つ目のことと関連するが、すべてを失った都市において、新しく復員して来て働く青年にしても、他方から富と新しい仕事を求めて上京して来る青年にしても、基本的には一人で暮らし、もしくは結婚しても二人で暮らしていたということである。
 つまり、彼らの生活と家庭には今日の東京において発生している高齢者問題も無かったし、三世代同居も極めて少なく典型的な「核家族」であったということである。今日、自宅に寝たきり老人などの介者を必要とする家庭において、そこの勤労者が、会社史上主義で企業戦士であり続けることは不可能である。
 こうした所帯の構成員が少ないということは、それだけに仕事に没頭できるという生活環境を提供したと言える。
 四っ目の特性は、サラリーマンはおしなべて何も持たない青年層であったということである。地方の農村部における勤労者や、地主などは終戦後においても、貧しいながらそれなりの豊かさを誇っていたが、廃虚となった東京などの都市で新生活をはじめたばかりのサラリーマンは、まさに無一物の生活から豊かさを必死に求める「ハングリー精神」のみを武器に目前の貧しさと対決していかなければならなかった。極度の貧しさが、豊かさを求めてひた走る「会社至上主義」と結びついたとも言える。
 ともあれ、サラリーマンは「必死」で働かなければ生きて行けなかったし、それだけ、特段に貧しかったのである。
 また、当時、都市部においてサラリーマンを形成したのは地方の農家の次男三男や、戦後、復員して来た戦争帰りの青年達であって、彼らは戦争に「負けた」ということを内面の痛手としながらも「経済的に豊かになる」ことをその心理的代償として勝ちとろうとしていたのである。つまり、我々は戦争で負けたけれども、経済では勝つぞ、という意気込みである。この点において、敗戦に対する精神的代償はGNP世界第二位達成で一つの結果を得たといえる。
 そして時代的背景は、サラリーマン階級のこうした「貧」から脱し、富に到達したいという欲求を満たしつづけるものであった。
 それは、例えば、生活が徐々に向上して来たときに、新しい都市住民のブランドとして、三種の神器と言われる「冷蔵庫」「洗濯機」「テレビ」が出現して、これらの新商品が、更に購買意欲、そして、購買するための勤労意欲を高めるためにプラスに働いた。
 そして、この三種の神器が家庭を一巡した頃には、再び、新三種の神器とて「クーラー」「カラーTV」「マイ・カー」といったものが大衆商品として出現した。したがって、サラリーマン企業戦士は、本来の「ハングリー精神」にプラスして、常にニンジンを顔の前にぶら下げられた馬のような状態で走り続けたといえよう。
 五つ目のサラリーマン階級の特長は、戦後半世紀近くにわたって、継続的につつ゛いたのであるが、サラリーマンは、戦後荒廃した社会からスタートしたあとは、基本的につねに勝者であったということである。
 それは、日本国内の経済の動きを見ると、東京を中心とするサラリーマン集積地域が、ほかの日本の大部分を閉める農村部よりもはるかに急速にしかも圧倒的な富を有するようになったということと関連がある。
 つまり、サラリーマンが安い値段で購入した土地は、農村部にくらべてどんどんと価値が上昇していった。また不便であった交通網も、どんどんと向上し、更には文化学問すべてにわたっての豊かさを享受する上でもサラリーマンが集積している都市ははるかに田舎をしのぐものであった。
 それは、あたかも東京に住んだサラリーマンは全員が宝くじにあたったようなものだったと言っていいかもしれない。
 それに比べて、地方に住む人は、終戦直後については、都市部サラリーマンよりも平均的にはるかに満足のできる豊かな生活をしていたかもしれないが、高度経済成長が進むと都市部サラリーマンとの生活の差は明確になっていた。
 当時、東京の少年たちは地方の少年を見下して「田舎っぺ」と言っていたのは、そうした状況を反映しての表現であろう。
 少なくとも、都市部サラリーマンは、日本の社会全体からみると「勝者」であった。
 と、同時に、都市のたゆまない変化と、その都市に富を求めて集まって来る新しい労働者の流れが、サラリーマンに自らの行動の正しさを更に確信付け、勇気付けたと考えられる。
 即ち、「会社至上主義」は正しかった――と。
 勿論、こうしたサラリーマンの精神的背景を、会社もキッチリと受け止めた点は、注目に値する。
 例えば、サラリーマンが、荒廃した都市に、自己の帰属するコミュニティーを見出せずに、それを職場に求めようとしたときに、後に日本型経営といわれるような「終身雇用制度」と、「家庭的職場環境」と、「採用」にあたってのスペシャリストではなく、人格と人間性を問うジェネラリストとしての基準を用いた点など、既述したサラリーマン階級の精神構造のメリットを活かす為に、最もふさわしいものであったと言える。
 もっともこの点も、終戦直後の会社経営のトップ及び、中堅にたった「青年より若年、年長の人達」が、やはり一億総軍隊化の中で、十年余にわたり戦いつづけた人であったことを考えれば、当時の若きサラリーマン階級と同じ、軍隊的精神的構造を持っていたと考えられる。
 極端な言い方をすれば、塹壕の同士世代が、同じような精神的構造の中で、職場における下士官であったり、兵員であったりして、共通の強烈な体験を共有しながら、戦後の後世を成し遂げたと言ってもいいかもしれない。


サラリーマン階級没落の由縁

 こうしたサラリーマンは、その強みの原点であった様々な要素が失われるに及んで、没落をしていくこととなる。
 その第一は、すでに述べたように、戦前に五才ぐらいであった「一億国民総軍事化」の意識を持った最終ランナーも、平成に入る前後で、会社から概ね、引退をしてしまったということである。
 当然ながら、会社は、ほぼ戦後世代で一色となっていると言っていい。
 そこには、もはや、会社至上主義もなければ、かつての企業戦士も居ないのである。そして、戦前の異常な体験は追体験できないが故に、同じ精神構造を持つサラリーマンを再生産することは難しいのである。
 二つ目は、サラリーマン階級が 集積した都市が老齢化したということである。
 かつてサラリーマンが、戦後の焼け野原に住みついたときと違って、今、都市は住宅が密集し、そして、そこには半世紀の間に、しっかりとした地域のコミュニティーが形成をされている。当然、半世紀の中で、その地域特有の慣習も生まれ、そこに「ふるさと」が生まれている。したがって、かつての企業戦士が、人生の喜怒哀楽を、軍隊生活の軍人がその陣地の中で行ったように、企業コミュニティーにつかり切ること自体もできないし、帰属する必然性も無い。
 また、若かったサラリーマン階級は、今や二世代になり、今回は、都市における高齢化が一気に進みつつある。
 サラリーマン第二世代は、第一世代のように、家庭の事情や、おじいさん、おばあさんのことを放っぽって企業戦士を続けることはできない。
 また、貧しかったりサラリーマン世代は、それなりに豊かになり、かつてのハングリー精神を持つ必然性を失った。
 そのことは、新三種の神器以来、購買意欲をそそる新商品は出現せず、その意味からも命がけで働く意欲を湧き立たすニンジンが失われ、必然性は失われているといえる。
 そして、勝者でありつづけたサラリーマンにとっての実証を伴う時代は、今や終わりを告げようとしている。
 既に土地の高騰は終了をし、都市化のマイナス面が都市の老朽化とともに目に付くようになってきた。また、何も技能を持たずに「会社への忠誠心」を唯一の大きな財産としてやってきたサラリーマン階級にとって、終身雇用制の崩壊は、決定的に「忠誠心」をセールスポイントにできない時代の到来を告げるものとなった。今は、人材は、「自己犠牲的」精神をセールスポイントにするのではなく、「知識」と「技術」をセールスポイントにしなければいけなくなった。
 このことを通して、サラリーマンであることが「勝者」であった時代は、今や終わろうとしている。
 こうした幾つかの内部的な点から、サラリーマン階級は、没落というより、消滅をして行ったと言える。
 サラリーマン階級の没落によって、わが国における、従来からの「企業戦士」は消滅した。そして、人間以外にとりたてた資源の無い日本にとってこのことは今後サラリーマン階級が担って来たこうした国家の 策を誰が担っていくのかについて最後に考えていきたい。
ところでそのことを考える場合に、サラリーマンとしてかつて固有なる精神構造を持っていた「サラリーマン階級」が消滅しつつある現状の労働環境の変化について考える必要がある。
 つまり、従来は労働市場は基本的には一国の内部にとどまるものであったが、今日の国際経済社会においては国境を超えて労働者が働く場を求めて動くことが、むしろ当たり前になっていることが、指摘される。
 同時に、そのことと表裏の関係にあるが、企業の活動も、従来は国境を越えて活動していく主体は「多国籍企業」と呼称されている大規模な小数ものにのみ限られていたが、今日においては、一定の規模を持つ企業であれば、国境の障壁をこえて、どんどんと他国に工場等を進出する時代になっている。品川区や大田区の町工場の中にも中国や台湾やほかの諸国に工場を出すことを、日本の他の府県に工場を出すことと同じ程度の障壁と考える企業が出始めているのは現実である。
 その一方において、企業そのものが投機の対象となり、M&Aといった企業買収が日常茶飯事に行われている。
 また、従来であればすべての領域について一般職として会社に就職した青年社員が会社入社後の企業内学習でし、理解することの出来た職場における仕事の多くが、今日の技術の進展と専門化によって、高校や大学時代ら、一定の領域に技能を特化水準を既にもって就職する人でなければタチうちできないような状況になりつつある。その証拠として、従来は大学でも文科系の卒業生が就職では有利であったが、今日では、工科系の方がむしろ有利になってきていることがあげられる。
 このことは、昨今の専門学校のブームなどにも反映をしている。
 こうした状況の中で、従来の一般職であり、技術ではなくて、その人間性やスタミナといった属人的な部分をセールスポイントにしてきたサラリーマン階級は、すでに述べた内部的理由からではなく、それを取りまく外部的理由からも存立し得ないと言える。
 そして、こうした状況を逆手に取る型で、あたらしい自らの手に技術を持ち、みずからリスクをコントロールして経済活動をする自立的中産階級が、今日の青年層を中心に生まれてくると私は考える。つまり自立的中産階級とは、多品種小量時代にふさわしい一人一人が専門的なネットワークと知識と技能を持ち、そして、自立した経済主体として働くあたらしい企業戦士である。
 そこで、この自立的中産階級発生の精神的背景を次に考えてみたい。
私が小稿では述べたように、サラリーマン階級の出現においての決定的要因は、「一億国民総軍隊化」によって生みだされた精神的背景を持つものであった。これに対して、日本の将来を担う自立的中産階級は、二十一世紀の国際化社会を、地球上で最も享受できるG7の一角を担う日本に今日のわが国が成長していることを精神的背景とする。
 それは、即ち、国際的な経済援助活動に、「経済大国」として参画できる経済的規模と地位に日本経済があるということであり、地球経済の主たるけん引国家に日本が位置していることを前提とする。
 つまり、日本がサラリーマン階級が出現したときのような経済的な貧しい状況に日本があるのではなく国民の持つ総資産が1200兆もあるという資金力のある国の技術水準と国際的ネットワークを個人個人がもちうる環境にあることが精神的背景となるば、今や日本はG7の強大な一角として、世界の共通経済の中核に入りつつある。
そして世界経済が、すなわちグローバル・スタンダードでと呼ばれる同じ基準でモノを考えていくことに進んでいくときに、世界の辺境の一小国であれば別だが、日本のような経済大国は、その中心にあって世界経済の目指す方向に同化していかなければ、繁栄を維持することはできない。そのグローバルスタンダードの商慣習や技術のあり方を、かつて奈良時代に仏教を受け入れたときと同じように、自然体で受容できるのがこのあたらしいグループの特長となる。
 ある意味において、あたらしく登場する日本の自立的中産階級は、戦後の日本経済の奇跡的復興を支えた中小企業の精神を継承する、独立した自らリスクをコントロールする企業精神をもつ勤労者であり、その特性は、国際経済に対する適応力にあるとも言える。もち論この国際化を受容できる特質は、未来23号で私が論じたように日本にある神道的発想が精神的構造として背景にあるといえる。つまり、すべてを取り込める精神的土壌である。
 つまり、今後、世界のビジネスがグローバル、スタンダードに収練していく中で、国際的な雇用システムや、ルールに適応できる性格を持ち、一定の資金力を持ち更には身につけた一定の専門の技術を駆使して、活動できるあたらしいタイプの企業戦士でなければこの自立的中産階級はつとまらないのである。
 そして、この自立的中産階級は、一人一人の技術的弱点を孕む問題については、それぞれの人脈におけるネットワーキングを通じて共同し、パートナーシップでのりこえていくに相違ない。
 この点では、かつての中小企業の相互ネットワーキングによって、板金からプレスから金型からメッキまでをつくり上げたような状況と似ているといえよう。つまり、一つ一つの企業が一芸に秀でつつ、それぞれが相あつまって一つの国際競争力のある試作品をつくたと同じような連携が、自立的中産階級の中で行われることになるであろう。
 その意味では、あたらしく登場する日本の自立的中産階級は、戦後の日本経済の奇跡の復興を支えた中小企業の精神を継承する。独立した勤労者でありその特性は、国際経済に対する適応力にあると言うえる。
  かつて日本経済をけん引したサラリーマン階級は、こうしたおびただしい数の自立的中産階級に再び収練分裂していくと考えられる。その精神構造は、したがって中小企業者の「勝負士」的なカンとリスクコントロールと、日本古来の神道的精神に依るものと考える。